朝日日本歴史人物事典 「大野治房」の解説
大野治房
生年:生年不詳
安土桃山時代の武将,豊臣家の臣。大野治長の弟。通称は主馬首。経歴は不詳であるが,秀頼に仕え知行1300石。慶長19(1614)年の大坂冬の陣では,浪人塙団右衛門(直之)を配下に蜂須賀至鎮隊を夜襲して混乱させた。大坂城内の強硬派のひとりで,和平派の兄治長と意見を異にし,元和1(1615)年4月9日に城内で起きた治長暗殺未遂事件の首謀者ともみられていた。直後の大坂夏の陣では前哨戦の口火を切り,4月26日徳川方筒井氏の大和郡山城を陥れ,また弟治胤(道犬)に一隊を分けて,泉州堺の市街を焼き払わせた。その後さらに奈良に向かおうとしたが,水野勝成隊の接近を知って河内に兵を返した。同29日には樫井付近で浅野長晟隊に攻撃を仕掛けたが反撃されて敗退。5月7日大坂落城の際に脱走したが,京都で捕らえられて斬首された。茶道をよくし,古田織部とも親交があったという。<参考文献>桑田忠親『古田織部』
(二木謙一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報