改訂新版 世界大百科事典 「大阪空港公害事件」の意味・わかりやすい解説
大阪空港公害事件 (おおさかくうこうこうがいじけん)
大阪国際空港は大阪府豊中市,池田市,兵庫県伊丹市の3市にまたがり,空港整備法により1959年7月第1種空港,すなわち国際航空路線に必要な飛行場に指定された。同空港は西日本における民間航空路線網の拠点とされたが,空港の敷地は317haと他の国際空港と比べてきわめて狭く,しかも人家の密集地域に立地されているうえに,発着機の増便と大型化をはかったために,騒音被害などの公害が広範かつ深刻化した。公害被害にたまりかねた離陸側の兵庫県川西市の住民は,69年12月国を被告として,午後9時から翌朝7時までの夜間飛行の禁止と過去5年間の損害賠償および航空機の騒音が居住地において65ホン以下になるまでの将来の損害賠償を求め提訴,71年11月には着陸側の豊中市の住民も同様の内容で提訴した。本件は四大公害事件が損害賠償を求めたのに対比して,差止めを求めたことに特色があった。第一審の大阪地裁は午後10時から翌朝7時まで,第二審の大阪高裁は住民の請求どおり午後9時から翌朝7時までの間の飛行禁止を認めるとともに,損害賠償を認容(ただし,将来の損害賠償については一審棄却)した。国は最高裁に上告したものの,76年7月までに,国内線,国際線ともに二審判決どおり夜間の航空機の発着を自発的に取り止めた。しかし,最高裁大法廷は81年12月16日の判決で,夜間飛行の差止めは,〈運輸大臣の航空行政権の取消し変更ないし発動を求める請求を包含するもの〉であり,民事上の請求として不適法であるとして,訴えを却下した。過去の損害賠償については,同空港の深刻・広範な公害の発生を認め,国家賠償法2条にいう瑕疵(かし)のある公共施設であるとしてこれを認め,将来の賠償については,国の対策の進展が予想されるとして却下した。本件についてはその後和解交渉が進められ,84年3月和解が成立した。
→空港公害
執筆者:木村 保男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報