朝日日本歴史人物事典 「大陽義冲」の解説
大陽義冲
生年:弘安9(1286)
鎌倉末期・南北朝期の臨済宗の僧。一説には弘安5(1282)~文和1/正平7.1.11(1352.1.28)。筑前(福岡県)の人。はじめ黙庵と号した。この号は,正和2(1313)年に渡来僧の一山一寧より授かったものである。のち改名,無為昭元に参じてその法を嗣いだ。康永3(1344)年東福寺の第19世となり,観応1(1350)年には南禅寺(第22世)に昇住した。しばしば召されて内裏に昇り,経典の講義を行ったという。また,近江(滋賀県)清涼寺および三河(愛知県)長興寺の開山となり,聖一派の京都周辺地域への展開の先駆けとなった。<参考文献>『大陽和尚行実』(続郡書類従234巻)
(石井清純)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報