ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マルチヌス4世」の意味・わかりやすい解説
マルチヌス4世
マルチヌスよんせい
Martinus IV
[没]1285.3.28. ペルジャ
フランス出身とされる第189代教皇(在位 1281~85)。本名 Simon De Brion; Simon De Brie。貴族出身でフランス国王ルイ9世(在位 1226~70)の評議員を務め,1261年頃に枢機卿(→カーディナル)に叙階され,1281年2月に教皇に選出された。マルチヌス2世ではなく 4世と呼ばれるのは当時,過去に在位した 2人のマリヌスという名の教皇を,誤読してマルチヌス2世,3世と呼んでいたためである。先代教皇ニコラウス3世(在位 1277~80)の方針を覆し,シチリア王シャルル1世(在位 1265~82)をローマの元老院議員に復帰させ,ビザンチン帝国との協力関係を犠牲にしてまで,シャルル1世の利益を守ろうとした。ビザンチン皇帝ミカエル8世(在位 1259~82)を 1282年に破門した結果,カトリックとギリシア正教の新たな断絶が生じた。またシチリアの夕べの祈り(シチリア晩鐘戦争)で,シャルル1世がシチリア島の領有権を手放したのちも,シチリアの新王ペドロ3世(ピエトロ1世。在位 1282~85)を追放してシャルル1世を復位させようとした。ペドロ3世を破門したうえアラゴン王国の没収を宣言した。
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