大面町村(読み)おおもまちむら

日本歴史地名大系 「大面町村」の解説

大面町村
おおもまちむら

[現在地名]栄町大面おおも

嵐南東山丘陵沿い、大面川の小扇状地南側に開けた村で、東は北潟きたがた村、西は安代やすしろ村と接する。字たにいり台地からは中世期の珠洲系陶質土器が出土している。大面を中心とした一帯は、中世、大面庄とよばれており、「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条に「鳥羽十一面堂領大面庄」とある。永禄三年(一五六〇)の貫屋家兼売券案(来田文書)に「大も」とみえる。大面と小滝こたきに境を接する丘陵には大面城があり、御館の乱の時上杉景勝によって攻められ、その直轄支配に組入れられた。天正一一年(一五八三)小幡喜兵衛が景勝から「於大面地、江田大蔵分」を宛行われたが(歴代古案)、同年西方頼忠分と替えられている(上杉年譜)

慶長三年(一五九八)新発田藩領となり、この頃の御領内高付帳(新発田市史資料)には「大面町」とあり四四〇石九斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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