改訂新版 世界大百科事典 「大頭流」の意味・わかりやすい解説
大頭流 (だいがしらりゅう)
曲舞(くせまい)の一流派。曲舞は15世紀の中ごろから変質を始め,長編の語り物に合わせて舞うようになる。その流派にはさまざまあったが,なかでも越前で興った幸若舞(こうわかまい)が主流を占めるようになる。この期の曲舞は単に舞とも称されるが,その舞の一流派に大頭流があり,《御湯殿上日記》の永正13年(1516)2月15日の記事をはじめ,以後の記録に時にその名が見える。近世に入っても舞の流派として幸若,大頭の2流をあげることがある。現在,福岡県みやま市の旧瀬高町大江では幸若舞が演じられるが,これはその名称とは違って大頭系の舞で,同地に伝わる《大頭舞之系図》によると,流祖は幸若弥次郎直茂の弟子の山本四郎左衛門直義で,生まれつき頭が大きく大声であったところから大頭流と称されたと伝える。しかし,幸若直茂という人物が明らかでなく,大頭流は幸若流とは無関係な曲舞の一流派とする説や,幸若流の一支流とする説などがある。また同系図に大頭の門下に百足屋(むかでや)善兵衛,笠屋三右衛門,大頭国介がいたとされる。この笠屋は,大頭の脇と伝え,女舞もよくしたが,やがては新興の歌舞伎に吸収された。今日まで伝わる舞の台本の中に大頭左兵衛,笠屋但馬という人物が書写したものがある。
執筆者:山本 吉左右
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報