日本の中世芸能の一種。幸若舞曲(こうわかぶきよく),舞曲(ぶきよく)ともいう。曲舞(くせまい)の一流派であったので,幸若舞を曲舞ということもあり,舞,舞々(まいまい)という場合もある。曲舞の本流が室町時代の中期におとろえるが,その系統から,長い叙事的な語り物に簡単な動作の舞をともなった芸能があらたに起こり,唱門師(しようもんじ)などによって盛んに行われるようになった。この後期の曲舞の一流派が幸若流であるが,幸若舞という名称は,〈幸若系図〉などの伝承によると,その大成者桃井直詮(もものいなおあきら)の幼名幸若丸にちなんだものとされる。幸若の名は《管見記》嘉吉2年(1442)の条に見え,《康富記》文安5年(1448)の条には〈越前田中香(幸)若太夫〉とあって,その出身が同国西田中(現,福井県丹生郡越前町)であったことがわかる。この地の近くの八坂神社の嘉慶元年(1387)の記録に,同社の神事舞の役を勤めたことが見える。西田中は江戸中期まで院内村と呼ばれたが,これらからすると,幸若舞はもと地方の寺社に奉仕する唱門師系の舞であったと思われる。
幸若流は15世紀中ごろから京都に進出して,武将たちの愛顧を受け,領地を安堵されるようになり,八郎九郎,小八郎,弥次郎の3家に分かれて盛行した。江戸時代になると幕府御用の式楽となり,江戸城中にも参賀するようになったが,席次は能楽者より上であった。しかし,式楽として幕末まで行われたものの,一般の人気は新興の歌舞伎や浄瑠璃に移った。明治に入ると幸若家の人々も禄を離れ,舞も行わなくなった。幸若舞が人気を博した室町時代には,他に大頭(だいがしら),笠屋などの流派もあったが,これらの舞も幸若舞と呼ぶことがある。地方でも,室町~江戸時代には幸若舞に似た唱門師系の舞があって,この人々は舞々(まいまい)と呼ばれた。近江,河内,美濃,越前,若狭などで舞々が活躍した記録がある。
幸若舞の詞章は江戸時代初頭には読み物としても享受され,36曲を編集して〈舞の本〉と呼ばれたが,今日まで伝わっている台本では,40曲をこえる作品がある。内容は《平治物語》《平家物語》《曾我物語》の中の説話と同材のものが多いが,これらとは違ったバリエーションもあって,伝承上は当時口頭で伝承されていた別系の語り物の系統を引くと考えられている。他に幸若舞に特有の《入鹿(いるか)》《大織冠(たいしよかん)》《百合若大臣(ゆりわかだいじん)》《信太(しだ)》《満仲(まんぢゆう)》などの作品があり,平治物には《鎌田》《伊吹》《山中常磐》など,平家物には《文覚》《那須与一》《敦盛》《築島》《景清》など,義経物に《烏帽子折》《堀河夜討》など,曾我物に《元服曾我》《和田酒盛》《夜討曾我》などの作品がある。幸若舞が唱門師芸に系統を引く祝言芸能に発したためか,他に《日本記》《夢合》《九穴の貝》などの祝儀物があり,後に作られた《新曲》《三木》《本能寺》などの作品もある。曲節はカタリ,イロ,フシ,ツメなどがあり,芸態は室町時代には烏帽子直垂(えぼしひたたれ)姿で,小鼓を伴奏にして語りながら舞うものであったらしい。ふつう二人舞で,ときには三人舞のこともあった。
現在でも福岡県みやま市の旧瀬高町大江では幸若舞が行われる。これは江戸時代に蒲池(かまち)氏の保護を受けたものの流れで,舞は大頭流の系統である。芸態は,烏帽子素襖(すおう)長袴を着,太夫は立烏帽子,ワキ,ツレは侍烏帽子をつけて3人で舞い,小鼓1人の伴奏を伴う。
→曲舞
執筆者:山本 吉左右
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室町時代から江戸時代にかけて隆盛した芸能の一つ。曲舞(くせまい)、舞(まい)、舞々(まいまい)ともいわれる。その起源について幸若諸家の系図は、南北朝時代の武将桃井直常(なおつね)の孫幸若丸直詮(なおあき)が創始したと伝えるが、これらは江戸時代になってから作成されたもので、伝説の域を出ない。幸若舞は一般に曲舞とも称せられたように、室町中期以前に流行していた曲舞の流れをくむものであり、その担い手は声聞師(しょうもじ)などの賤民(せんみん)階層であったともいわれている。幸若大夫(たゆう)ということばの記録上の初見は『管見記(かんけんき)』嘉吉(かきつ)2年(1442)の条であるが、このころには各地に幸若舞が存在しており、なかでも越前(えちぜん)幸若が世間の好評を得ていたようすが他の記録からうかがわれる。幸若舞は題材を『平家物語』『曽我(そが)物語』などの軍記物語に取材し、武士舞的な要素が濃いところから、織田信長、豊臣(とよとみ)秀吉などの戦国武将に愛好され、その庇護下にあった越前幸若は社会的に恵まれた地位を得て繁栄した。幸若舞の詞章は「舞の本」といわれ、50曲が知られる。江戸時代に入ると越前幸若は幕府の式楽としての能楽よりも上席を遇せられる一時期もあったが、しだいに衰退し、やがて幕府崩壊とともに滅亡した。
今日では福岡県みやま市瀬高町大江に大頭(だいがしら)系の幸若舞が伝承されている。1月20日に大江天満神社の舞堂で行われ、『安宅(あたか)』『高館(たかだち)』など8曲が上演可能。大江に伝わる『大頭舞之系図』によると、幸若の弟子筋にあたる者が1582年(天正10)に、筑後(ちくご)(福岡県南部)山下城主蒲池(かまち)家家来に伝授したとあるが、真偽のほどは定かでない。囃子(はやし)は小鼓のみで、大夫、シテ、ワキの3人が長い詞章を分けて謡い語る。謡と語りが主で、舞というほどの所作はなく、拍子にかかるツメで太夫が舞台を踏んで回るにすぎないが、今日伝承する唯一の幸若舞であるだけに貴重な意義があり、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
[高山 茂]
『笹野堅著『幸若舞曲集』(1943・第一書房)』▽『荒木繁・池田廣司・山本吉左右編・注『幸若舞』全3巻(平凡社・東洋文庫)』
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中世末期に完成した語り物芸能,あるいはその演者。曲舞(くせまい),たんに幸若ともよぶ。扇拍子または鼓・笛の伴奏で舞う。幸若は,もと越前国朝日村から出た曲舞の一派の名称だったが,とくにこの芸にすぐれて著名だったためこの名が冠された。はじめは短い歌と舞で構成され,稚児(ちご)や若衆,若い女が演じたらしいが,のち軍記物語など長編の物語を語るものへと変貌し,しだいに舞も行われなくなった。幸若本家は,1574年(天正2)織田信長から100石を給されて以降,武家に厚遇され,江戸幕府においても式楽に数えられた。
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…盲御前(めくらごぜ)(瞽女)によって語られたと考えられる《曾我物語》,東北の盲法師ボサマのような人々によって語られた各地の伝説を集大成したと考えられる《義経記》,あるいは《無明法性合戦状》《保元物語》《平治物語》《明徳記》なども民間の語り部のような人物によって語られたと考えられるところから,語り物に分類されることがあり,談義僧などによって語られた《太平記》なども時には語り物とされることがある。 こういった中から室町時代の中ごろから唱門師の芸能として曲舞(くせまい)があらわれ,この曲舞の徒を舞々(まいまい)ともいうが,その一派の幸若舞(こうわかまい)は,しだいに娯楽的・芸能的要素を強め,広く庶民大衆に迎えられ,武将たちにも愛好されるようになった。また,室町末期になって漂泊伶人以来の呪術宗教色を濃厚にとどめたのは説経節(せつきようぶし)であり,大道芸として行われて〈門説経〉とも呼ばれた。…
…若狭,能登,相模などの地方でも舞々と称してこれをよくするものが現れた。中でも越前から興った幸若流は,15世紀半ばには京都に進出し,戦国期の武将などから愛顧を受け一世を風靡したので,後期の曲舞を幸若舞(こうわかまい)で代表させることがある。また女曲舞の座に笠屋,桐なども現れたが,近世に入ると新興の歌舞伎などの中に吸収された。…
…曲舞は15世紀の中ごろから変質を始め,長編の語り物に合わせて舞うようになる。その流派にはさまざまあったが,なかでも越前で興った幸若舞(こうわかまい)が主流を占めるようになる。この期の曲舞は単に舞とも称されるが,その舞の一流派に大頭流があり,《御湯殿上日記》の永正13年(1516)2月15日の記事をはじめ,以後の記録に時にその名が見える。…
…そして,前期に包含していた滑稽(こつけい)な要素は狂言が継承し,能は厳粛さや悲劇的要素を主とするようになった。この猿楽能に似た曲舞(くせまい),幸若舞(こうわかまい)などもこの期に盛んに行われた(今では北九州の一部やその他に郷土芸能として残っている)。以上はすべて武家社会の芸能である。…
…拍子を重んじ,扇子を持って舞うのが特徴であった。曲舞は,猿楽の能にとり入れられると同時に,いくつかの流派に分かれ,室町中期以降,そのうちの幸若(こうわか)を名のる男舞の一派(幸若舞)が,軍記物を語り舞って武将たちに賞翫(しようがん)され,やがて江戸幕府に召し抱えられる。また,大頭(だいがしら)を名のる一派(大頭流)は民間に根を下ろし,笠屋の流派とともに女舞に勢力を張って,のち,歌舞伎の中に融け込んでいった。…
…広義には幸若舞(こうわかまい)の詞章を記した冊子のすべてをいうが,狭義にはそのうち,読み物として享受されるもののみをいう。演唱するための台本は正本(しようほん)といわれ,墨譜(ぼくふ)を付したものもある。…
※「幸若舞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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