天昌寺(読み)てんしようじ

日本歴史地名大系 「天昌寺」の解説

天昌寺
てんしようじ

[現在地名]盛岡市天昌寺町

国道四六号の南に位置する。岩鷲山と号し、安倍貞任が厨川くりやがわ柵に拠った頃からの古寺で、天台宗天照寺と称し、前九年の役で安倍氏が滅亡したのち衰微したと伝える。文治五年(一一八九)の奥州合戦で戦功のあった工藤小次郎行光が岩手郡を与えられ、その子孫厨川工藤氏(栗谷川氏ともいう)は当寺を再興して菩提所としたという。江戸初期に三戸南部氏が盛岡に移るや、栗谷川氏はその家臣となり、栗谷川八兵衛光成の代に紫波しわ長善ちようぜん(現都南村)の七世物賛関逸を請じて開山として曹洞宗改宗、八兵衛自身は開基となって寺の再興を計ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む