天王橋跡
てんのうばしあと
津島村本郷の橋詰町から天王川の対岸向島の浦方までに架かっていた橋。「宗長手記」大永六年(一五二六)三月の条に「橋あり。三町あまり。勢田の長橋よりは猶遠かるべし」とあって、一六世紀初頭にすでに架橋されていたことが知られる。「寛文覚書」には「天王橋長六拾八間、巾三間」と、長さが約三分の一になっている。延享五年(一七四八)の村絵図の注記に「橋長七十間、幅三間。元ハ長七十二間、元文五申年西ノ方ニテ二間截ル」とあって、年代により伸縮がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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