日本歴史地名大系 「天田井堰」の解説 天田井堰あまだいぜき 京都府:綾部市大島村天田井堰大島(おおしま)村の楮(かご)ノ木(き)で由良川をせきとめて取水し、下流の高津(たかつ)村および天田郡観音寺(かんのんじ)村・興(おき)村・石原(いさ)村・戸田(とだ)村・土(つち)村(現福知山市)の田地を潤した。井堰の起源について「丹波負笈録」は、明智光秀の創設と伝えるが詳細は不明。田畑反別石高其他(沼田家文書)には<資料は省略されています>この新溝は大島村から高津村の天田井まで長さ五〇〇間、幅八間であったので「五百間堀」と称した。また溝代田畑一町三反三畝余のうち上田六反余の分米九石七升五合は下(しも)郷四ヵ村(興・石原・土・戸田)が負担することになった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報