日本歴史地名大系 「天神谷村」の解説 天神谷村てんじんだにむら 兵庫県:加東郡東条町天神谷村[現在地名]東条町天神(てんじん)加古川の支流東条川右岸の丘陵地にある。慶長国絵図に天神谷とみえ、正保郷帳によると田方四〇七石余・畠方四五石余、幕府領。正徳二年(一七一二)から幕末まで下野壬生藩領(「寛政重修諸家譜」、享保二年「徳川吉宗領知朱印状」大島家文書、旧高旧領取調帳など)。天保郷帳によると高五〇四石余。慶長一〇年(一六〇五)東条山の境について天神谷・森(もり)・掎鹿谷(はしかだに)・黒谷(くろだに)・長井(ながい)・貞守(さだもり)・少分谷(しようぶだに)・古家(ふるけ)・常田(つねだ)・西戸(さいど)・岩屋(いわや)・念仏(ねんぶつ)・長谷(ながたに)・うミ谷(横谷か)の一四村と天神町・はしか寺は清水(きよみず)寺(現社町)衆徒と争論を起こしている(「東条谷十六ヵ村百姓等訴状案」清水寺文書)。 天神谷村てんじんだにむら 石川県:鳳至郡穴水町天神谷村[現在地名]穴水町天神谷小又(おまた)川支流山間にあり、南東は大町(おおまち)村。天文元年(一五三二)七月の諸橋六郷・南北棟数注文写(諸橋稲荷神社文書)によれば、南北(なんぼく)のうち「天神か谷」で棟役を負担する役屋は六間とある。享禄五年(一五三二)五月鳳至郡の内浦沿岸部から能登畠山氏の催促に応じた長衆に、穴水村の衆として、天神谷の次郎右衛門尉がみえる(「穴水村・諸橋六郷長衆交名案」諸橋文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by