東条町(読み)とうじようまち

日本歴史地名大系 「東条町」の解説

東条町
とうじようまち

[現在地名]三木府内町ふないちよう

平山ひらやま町の北に位置する。三木町の町方町の一町で、かみ五ヵ町に属する。町名は三木町のうち加東かとう郡東条(現東条町)方面に向かう道筋に位置することに由来する(美嚢郡誌)。文化元年(一八〇四)の三木町家別人数並諸商売書上写(三木市有文書)によれば家数六八・人数二八五。弘化二年(一八四五)の家数取調帳(同文書)では家数五〇で、うち一八軒が地方町の平山町にある。文化一二年頃当町年寄文左衛門はしば町年寄を兼帯していた(「三木町長機織職差止めにつき職屋中願書」同文書)

東条町
とうじようちよう

面積:五〇・三二平方キロ

加東郡の東端に位置し、東は三田市・美嚢みのう吉川よかわ町、南は三木市、西は小野市、北西はやしろ町に接する。加古川の支流東条川の両岸にまたがって盆地状をなし、東条谷とよばれる。古代は賀茂かも郡、中・近世は加東郡に属し、播磨の中央部から兵庫・大坂へ通じる道が谷の中央を走っていた。慶長五年(一六〇〇)姫路に入部した池田輝政領となるが、元和三年(一六一七)池田氏は転封、その後は領主の変動が激しかった。中期以降では幕府領、三卿の一橋領のほか三草・姫路・下野壬生・下総古河、遠江浜松(のち上総鶴舞)、陸奥白河(のち陸奥棚倉)などの藩領があったが、そのほとんどは遠国大名の飛地である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報