天間館村(読み)てんまだてむら

日本歴史地名大系 「天間館村」の解説

天間館村
てんまだてむら

[現在地名]天間林村天間館

つぼ川とその支流中野なかの川が合流する西方、両川の流域一帯に位置する。村内を奥州街道が通る。東と北は甲地かつち(現東北町)、東は附田つくた村、南は七戸しちのへ(現七戸町)に接する。村名の由来を嘉永三年(一八五〇)の「東奥沿海日誌」は「伝馬立なるか。往昔七戸より野辺地に行、伝馬人足皆此所にて休足にても仕しものならん」と、近世以前の駅所説を述べている。八戸系図(南部家文書)政経の項に「天魔館五郎右衛門新田盛政自身討之」とみえ、康正年間(一四五五―五七)に天魔館氏は政経の家臣新田盛政に討たれたという。また天正一九年(一五九一)九戸の乱に際し、九戸方武将のなかに天馬館源左衛門の名がみえる(岩手県史)

正保四年(一六四七)の南部領内総絵図に天广館村、七六石余とあり、同年の郷村帳によれば七六・九三石のうち五一石が田である。また同絵図にはのちに支村となる鳥屋部とやべ村が三七石余とあり、一村に扱われている(→鳥屋部村

寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」には「高四百三十八石一斗余 郡分郷村高書上 二百廿九石三斗余 二百九十八石八斗余 同百卅八石九斗余」とあって、荒地が多く、馬一三六疋を飼養。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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