太田慶太郎(読み)オオタ ケイタロウ

20世紀日本人名事典 「太田慶太郎」の解説

太田 慶太郎
オオタ ケイタロウ

昭和期の社会運動家 元・静岡県議(共産党)。



生年
明治39(1906)年3月8日

没年
平成1(1989)年3月22日

出生地
静岡県伊東市

別名
別名=谷 一(タニ ハジメ)

学歴〔年〕
東京帝国大学法学部〔昭和4年〕中退

経歴
東大時代新人会に入り、大正15年マルクス主義芸術研究会を結成。昭和2年日本プロレタリア芸術連盟中央委員となる。3年に解放運動犠牲者救援会本部書記となり、9年検挙、投獄された。戦後は共産党に入り「アカハタ」経営局長などを歴任、伊東市議を経て、46年県議に当選した。また叔父木下杢太郎の杢太郎記念館の責任者もつとめた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太田慶太郎」の解説

太田慶太郎 おおた-けいたろう

1906-1989 昭和時代の社会運動家。
明治39年3月8日生まれ。木下杢太郎(もくたろう)の甥。太田操の夫。昭和2年日本プロレタリア芸術連盟中央委員となり,翌年馬島僴(まじま-ゆたか)らと解放運動犠牲者救援会を創設。21年共産党の機関紙「アカハタ」経営局長。のち帰郷し,静岡県会議員。平成元年3月22日死去。83歳。東京帝大中退。筆名は谷一(たに-はじめ)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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