日本歴史地名大系 「太田番所跡」の解説 太田番所跡おおたばんしよあと 岐阜県:美濃加茂市太田村太田番所跡[現在地名]美濃加茂市太田本町四丁目尾張藩が木曾川の流材監視のために設置した川並番所。木曾并川並所々覚書(蓬左文庫蔵)によれば、寛文五年(一六六五)手代一人、足軽一人が配置された。番所は宿町南裏の川岸にあり、屋敷二畝一三歩、高二斗七升四合の年貢は村中より出す。「尾張地方古義」によれば、円城(えんじよう)寺(現羽島郡笠松町)奉行の手代一人の下で、国方および先手の足軽が月番交替で勤務した。享保一一年(一七二六)川並仕法改正ののちも船荷改などのため定番手代が残置され、足軽二人が付属した。同時に川合(かわい)村より木之巻(このまき)(現加茂郡坂祝町勝山)までの一〇人の川回り役人を廃し、太田宿惣年寄福田三右衛門が留木裁許役に任命された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by