太田雄貴(読み)おおたゆうき

知恵蔵 「太田雄貴」の解説

太田雄貴

1985年11月25日生まれ、滋賀県大津市出身。日本のフェンシング選手(種目フルーレ)。同志社大学商学部卒。森永製菓所属で、マネジメント契約先はスポーツビズ(2012年8月時点)。12年ロンドン・オリンピックの日本代表。個人では3回戦敗退となったものの、千田健太三宅諒と共に挑んだ団体で銀メダル獲得。これは史上初のフェンシング団体でのメダルである。
小学校3年生の時、父の勧めでフェンシングを始める。小、中学と共に全国大会での優勝経験を持ち、平安高校(京都府)時代には、史上初のインターハイ3連覇を達成する。高校2年生で全日本選手権優勝。
04年のアテネ・オリンピックでは9位。06年には、カタールのドーハで開催されたアジア競技大会で優勝を果たす。日本人選手としては、28年ぶりの優勝となった。08年には、北京オリンピックで銀メダルを獲得する。この銀メダルは、日本フェンシング史上初の五輪メダルである。この時、大学卒業後競技に打ち込んでいたため就職しておらず、インタビューで「就職先募集中」と語ったことが話題になり「ニート剣士」などと呼ばれた。その後すぐに複数のオファーが舞い込む中、森永製菓に入社。ウィダー事業本部に所属し、製品開発や改良PRを担当している。
09年、森永製菓所属のまま、フェンシングの母国であるフランスのクラブチーム、エクスアン・プロヴァンスフェンシングクラブに期限付きで在籍。「ルブニュー・チャレンジ」で優勝。日本人選手として初めて国際フェンシング連盟ランキング1位となった。10年、パリで行われた世界選手権では3位となり、日本人選手として個人では初めて世界選手権のメダルを獲得した。趣味は音楽鑑賞、好きな食べ物寿司

(菘(すずな)あつこ  フリーランス・ライター / 2012年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太田雄貴」の解説

太田雄貴 おおた-ゆうき

1985- 平成時代のフェンシング選手。
昭和60年11月25日生まれ。種目はフルーレ。小学3年からフェンシングをはじめる。平安高時代の平成14年全日本選手権で優勝,翌年インターハイ3連覇をはたした。16年ワールドカップ(テヘラン)で個人優勝。同年アテネ五輪では9位。20年北京五輪で銀メダルを獲得し,日本フェンシング史上初のメダリストとなった。21年国際フェンシング連盟ランキングで日本人初の1位となる。同年ワールドカップ(ハバナ)で優勝,アジア選手権で3連覇。22年ワールドカップ(東京)で3度目の優勝。24年ロンドン五輪では個人戦は3回戦で敗退したが,団体(太田雄貴,千田健太,三宅諒,淡路卓)で銀メダルを獲得。25年国際フェンシング連盟の選手委員会委員長に選ばれる。27年世界選手権フルーレ個人で日本人初の金メダルを獲得。森永製菓所属。滋賀県出身。同志社大卒。

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