知恵蔵 「太田雄貴」の解説
太田雄貴
小学校3年生の時、父の勧めでフェンシングを始める。小、中学と共に全国大会での優勝経験を持ち、平安高校(京都府)時代には、史上初のインターハイ3連覇を達成する。高校2年生で全日本選手権優勝。
04年のアテネ・オリンピックでは9位。06年には、カタールのドーハで開催されたアジア競技大会で優勝を果たす。日本人選手としては、28年ぶりの優勝となった。08年には、北京オリンピックで銀メダルを獲得する。この銀メダルは、日本フェンシング史上初の五輪メダルである。この時、大学卒業後競技に打ち込んでいたため就職しておらず、インタビューで「就職先募集中」と語ったことが話題になり「ニート剣士」などと呼ばれた。その後すぐに複数のオファーが舞い込む中、森永製菓に入社。ウィダー事業本部に所属し、製品開発や改良、PRを担当している。
09年、森永製菓所属のまま、フェンシングの母国であるフランスのクラブチーム、エクス・アン・プロヴァンスフェンシングクラブに期限付きで在籍。「ルブニュー・チャレンジ」で優勝。日本人選手として初めて国際フェンシング連盟ランキング1位となった。10年、パリで行われた世界選手権では3位となり、日本人選手として個人では初めて世界選手権のメダルを獲得した。趣味は音楽鑑賞、好きな食べ物は寿司。
(菘(すずな)あつこ フリーランス・ライター / 2012年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報