太養院
たいよういん
[現在地名]飯塚市本町
穂波川の左岸にある。江戸時代の長崎街道の西側、飯塚宿内の浦町にあたる(続風土記附録)。飯塚山と号し、曹洞宗。本尊は聖観音。「続風土記」によれば明星寺再建のとき食物を調えた所なので太養院と号したと伝える。初めは飯塚山のそばにあったが、御茶屋が造られたため寛永一七年(一六四〇)現在地に移された(嘉穂郡誌)。黒田如水・長政が慶長二年(一五九七)の朝鮮出兵の折や、同五年の豊前中津からの入国の際に宿泊した。そのため同七年寺産一〇石が与えられたという(太養院文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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