夷田新田村
えびすだしんでんむら
[現在地名]猪苗代町金田
中目村の南東、長瀬川(酸川)下流の東岸平地に位置し、南は金曲村。川東組に属した。江戸時代初期に開かれた新田村で、「会津旧事雑考」は元和七年(一六二一)、「新編会津風土記」は寛永七年(一六三〇)の開村とする。同風土記では当地は古く夷谷地と称し、そこに新田を営んだのが村名の由来という。一方、当村肝煎を世襲した関沢家の覚書によれば、同家開祖関沢名左衛門は上杉景勝の家臣で、慶長六年(一六〇一)景勝の米沢移封に際し当地に移り住んで草分になったという。また集落は寛文九年(一六六九)観音寺川の水害で南東方から現在地に移転、旧地はえびす壇あるいは古屋敷とよばれている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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