夷田新田村(読み)えびすだしんでんむら

日本歴史地名大系 「夷田新田村」の解説

夷田新田村
えびすだしんでんむら

[現在地名]猪苗代町金田かねだ

中目なかのめ村の南東長瀬ながせ(酸川)下流の東岸平地に位置し、南は金曲かねまがり村。川東組に属した。江戸時代初期に開かれた新田村で、「会津旧事雑考」は元和七年(一六二一)、「新編会津風土記」は寛永七年(一六三〇)の開村とする。同風土記では当地は古く夷谷地えびすやちと称し、そこに新田を営んだのが村名の由来という。一方、当村肝煎を世襲した関沢家の覚書によれば、同家開祖関沢名左衛門は上杉景勝家臣で、慶長六年(一六〇一)景勝の米沢移封に際し当地に移り住んで草分になったという。また集落は寛文九年(一六六九)観音寺かんのんじ川の水害で南東方から現在地に移転、旧地はえびすだんあるいは古屋敷ふるやしきとよばれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む