日本歴史地名大系 「奈古屋郷」の解説
奈古屋郷
なごやごう
中世の郷名。現奈古谷に比定される。文覚は承安三年(一一七三)後白河院によって伊豆国に流罪とされ、「平家物語」巻五(福原院宣)に「伊豆国奈古屋かおくにそすみける」と記される。建久二年(一一九一)成立とみられる「筥根山縁起并序」によると、寿永年中(一一八二―八四)源頼朝が文覚をして「豆州奈古谷」に多聞堂を建立させたという。現在の毘沙門堂であろう。長門本「平家物語」には「奈古屋か崎」もみえ、「義経記」は「北条奈古谷」と記す。鎌倉末期は北条氏の所領で、幕府滅亡後に「伊豆奈古谷」は足利直義に与えられており(「足利尊氏・同直義所領目録」比志島文書)、元弘三年(一三三三)一二月二九日に尊氏は上杉憲房に勲功賞として「奈古屋郷地頭職」を与えた(「足利尊氏御判御教書」上杉家文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報