奥瀬村
おくせむら
奥入瀬川の上流右岸に位置する。十和田湖より発して北流する奥入瀬川は当村の西の焼山付近で八甲田渓谷より南下する蔦川を合した後、東に大きく迂回して三本木原に向かう。東を片淵川が北東流して、奥入瀬川に合する。北は法量村、東は沢田村、南は切田村(現十和田市)に接し、西は八甲田山稜を隔てて弘前藩領となる。
藩政期に当地を知行した奥瀬安芸は先祖を小笠原氏と称したといい、小笠原氏は建久二年(一一九一)南部光行に従って糠部に赴任した四天王の一人とされる(「参考諸家系図」岩手県盛岡市中央公民館蔵)。光行の下向については疑問であるが、「十和田村史」によれば、鎌倉時代から室町時代にかけて当地は南部氏の本拠地三戸から五戸を通り七戸に抜ける幹線道路上にあたり、また十和田湖付近を通って津軽地方に出る道の中間点にあたる交通の要衝であった。上川目南方の奥瀬館跡は奥瀬氏代々の居館跡とされ、その南の生内川左岸の生内や片淵川左岸の仙ノ沢、奥入瀬川右岸の立石・冷水などにも館跡が残る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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