五戸(読み)ごのへ

精選版 日本国語大辞典 「五戸」の意味・読み・例文・類語

ごのへ【五戸】

  1. 青森県南東部、三本木原台地の南端にある地名。奥州街道の浅水と伝法寺の間にあった旧宿駅。古来、馬の産地として知られ、また、米、リンゴなどを産する農業地帯。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「五戸」の意味・わかりやすい解説

五戸(町)
ごのへ

青森県南東部、三戸郡(さんのへぐん)にある町。1915年(大正4)町制施行、1955年(昭和30)川内(かわうち)、浅田の2村を合併、2004年(平成16)倉石村編入。町域の中央を五戸川が、並行して南部を浅水川が流れ、両川沿い集落が形成される。夏季には「やませ」(偏東風)といわれる冷たい風が吹く。江戸時代は奥州街道の宿駅であったが、明治以降は東北本線から離れていたため、南部鉄道(1969年廃止)によって東北本線と結ばれていた。国道4号、454号が通じ、JR東北新幹線八戸(はちのへ)駅からバスの便がある。馬の育成に適したことから、盛岡藩牧が置かれ馬産地として栄えた。米、リンゴ、ヤマイモなどを産し、県のりんご研究所県南果樹部がある。畜産も盛んである。江戸時代の江渡家住宅(えとけじゅうたく)は国指定重要文化財、倉石石沢地区に伝わる南部駒踊(こまおどり)は県指定の無形民俗文化財となっている。奥州街道には昔の面影が残る。八戸地区新産業都市地域に含まれ、地蔵平(じぞうたい)に工業団地が形成された。食料品、木材、家具、電機、繊維などの小規模の工場がある。面積177.67平方キロメートル、人口1万6042(2020)。

横山 弘]


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改訂新版 世界大百科事典 「五戸」の意味・わかりやすい解説

五戸[町] (ごのへ)

青森県南部,三戸(さんのへ)郡の町。2004年7月旧五戸町が西に接する倉石(くらいし)村を編入して成立した。人口1万8712(2010)。

五戸町西部の旧村。旧三戸郡所属。人口3468(2000)。奥羽山脈東麓にあたる丘陵が村域の大部分を占める。中央を北西に流れる五戸川沿いに水田,集落が分布する。戦国時代は三戸南部氏の配下であった又重氏の支配下にあり,近世には南部藩の九牧の一つ,又重の牧があり馬産地として知られた。1955年以降人口減少が続き,過疎地域に指定されている。稲作のほか,リンゴ,野菜の栽培,畜産が行われ,近年はナガイモやニンニクの生産が盛ん。

五戸町東部の旧町。三戸郡所属。人口1万7850(2000)。三本木原台地南端を占め,台地を刻む五戸川と浅水川沿いに集落が分布する。古くから馬産地として知られ,町名も南部藩が馬産振興策としてこの地方を九つの戸(牧場の意)に区分したことに由来する。中心の五戸は近世には代官所が置かれ,陸羽街道の宿場でもあったが,東北本線の路線からはずれ,とり残された。1930年に尻内(現,八戸市)~五戸間に五戸電気鉄道(のち南部鉄道と改称)が開通したが,68年の十勝沖地震で不通となったのを機に廃線となった。五戸川沿いの低地では稲作,台地上ではリンゴ,蔬菜,ナガイモの栽培が盛んで,県の畑作園芸試験場,養鶏試験場がある。1964年八戸新産業都市の一部に指定され,67年に地蔵平工業団地が造成された。近世後期の在郷士族の住居として重要文化財に指定されている江渡(えと)家住宅がある。
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百科事典マイペディア 「五戸」の意味・わかりやすい解説

五戸[町]【ごのへ】

青森県南東部,八戸(はちのへ)市の西に接する三戸(さんのへ)郡の町。中心集落は五戸川に沿い,陸羽(りくう)街道の宿駅として発達。稲作のほか,畑作,畜産,果樹栽培が行われ,リンゴ,ナガイモなどを産する。県農林総合研究センター及びりんご試験場県南果樹研究センターがある。養鶏も盛ん。2004年7月,三戸郡倉石村を編入。東日本大震災で,町内において被害が発生。177.67km2。1万8712人(2010)。

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