日本歴史地名大系 「奥藤森村」の解説 奥藤森村おくふじがもりむら 兵庫県:出石郡但東町奥藤森村[現在地名]但東町奥藤(おくふじ)中藤森村の南東、太田(おおた)川最上流域の谷間に開ける。中藤森村で出石・宮津道から分れ、加悦奥(かやおく)峠を越えて丹後国与謝(よさ)郡加悦奥村(現京都府加悦町)へ至る道が通る。古くは北西の口藤森(くちふじがもり)村・中藤森村と一村で藤森村と称していたが、寛文六年(一六六六)に村切をしてそれぞれ一村となった(資母村誌)。近世の領主の変遷は水石(みずし)村に同じ。出石封内明細帳によると高三五五石余、この内訳は屋敷七石余・麻畑五石余・田方三一六石余・畑方二六石余。小物成として茶代米七斗余・山手米八斗余、刈畑役の粟一斗余・蕎麦四斗、桑代の真綿七二五匁余ほかを納め、家数四五・人数二〇〇。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by