妙永寺
みようえいじ
旧高麗門外のほぼ中央に位置し、北から東、南は蛇行する旧井芹川に囲まれ、西は花岡山の崖に接していた。寺地は広く、妙解寺につぐ広さをもっていた。寿福山智雄院と号し、日蓮宗、本尊釈迦牟尼仏・四菩薩・宗祖像。「国誌」によると加藤清正が慶長五年(一六〇〇)没の母聖林院(伊都)の菩提のため、三回忌の同七年に建立し、遺骨を葬った。開山は本妙寺初代日真で、日真は本妙寺を日繞に譲って当寺に隠居し、寺中に本覚寺等を建立した。その後日真が推挙した学僧日収が京都より入山し、本妙寺と妙永寺とは表裏一体の関係となり、両寺一山、両山一寺といわれた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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