妙谷寺跡(読み)みようこくじあと

日本歴史地名大系 「妙谷寺跡」の解説

妙谷寺跡
みようこくじあと

[現在地名]鹿児島市下伊敷町

覚照山と号し、曹洞宗の鹿児島福昌寺末であった。本尊釈迦如来開山の柱山守棟は福昌寺九世、島津忠国の六男で、文明八年(一四七六)に没した。初め上伊敷かみいしき村不動院の地にあったが、島津義久当地に移して没後の寺としたという(三国名勝図会)。永正一五年(一五一八)正月一六日の智法照禅師天祐証状(旧記雑録)に寺名がみえ、当寺の寺地は心厳が柱山に買与え、その後寺領の山を泰雲が天祐に与えたものであるが、同年天祐は当寺を福昌寺に寄進している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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