善勝寺(読み)ぜんしようじ

日本歴史地名大系 「善勝寺」の解説

善勝寺
ぜんしようじ

[現在地名]前橋市端気町

端気はけ町北端、字後原うしろはらにある。艮場山慧雲院と号し、天台宗、本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、日光二荒ふたら山開山勝道の草創という。大治四年(一一二九)聖慶が薬師如来を安置し、自観寺と名付けた。正嘉二年(一二五八)天台僧覚山が住持の時、北条時頼が当寺に泊まり、僧の高潔雅趣に感じ入り田一〇〇畝を寄進した。永享三年(一四三一)円祐が再建し徳取山慧雲院自観寺と改称、天文年中(一五三二―五五)厩橋(前橋)城主長野某が善勝寺と改号、永禄五年(一五六二)越後上杉氏の将北条きたじよう高広が艮場山と改称したと伝える。


善勝寺
ぜんしようじ

[現在地名]緑区土気

本寿ほんじゆ寺の東にある。宝珠山と号し、顕本法華宗。本尊は大曼陀羅。もと極楽寺と号する真言系寺院であったが、酒井定隆土気とけ城に移るに伴い帰依していた日泰を中興開山として改宗、如意宝珠山善生ぜんしよう寺と号し、酒井家の菩提所としたという。天正一九年(一五九一)一一月土気本郷とけほんごう内の五〇石を寄進され、寺中竹木諸役等が免除となっている(貞享二年「徳川綱吉朱印状」県文書館蔵)。もと妙満みようまん(跡地は現京都市中京区)末で、寛永一〇年(一六三三)の妙満寺末寺帳では土気善勝寺として末寺四二。文化二年(一八〇五)の末寺高書上帳(寺蔵文書)では山辺やまべ長柄ながら・市原・千葉の四郡にわたる四一ヵ寺の持高と塔頭および支配領主が記される。


善勝寺
ぜんしようじ

[現在地名]宮古市千徳

神田かんだ沢の一隅にある。瑞源山と号し曹洞宗、本尊は釈迦如来。「邦内郷村志」によれば永徳えいとく(現胆沢郡金ヶ崎町)末で、報恩ほうおん(現盛岡市)支配下にあった。桜庭氏から寺領三石を与えられている。寺伝によれば天授五年(一三七九)千徳せんとく城主土岐孝長という者が宗門に入って自ら貞庵入道と号し、千徳沢せんとくざわの奥、城の搦手あたりに草庵を結んだという。


善勝寺
ぜんしようじ

[現在地名]能登川町佐野

曹洞宗。繖山と号する。十一面観音を本尊とし、近江三十三所観音霊場二〇番札所。所伝では聖徳太子草創の霊場で、その叔父良正を開基とし、創建当初は釈善しやくぜん寺と号する天台寺院であったという。坂上田村麻呂の東征勝利にちなんで現寺号に改め、織田信長による兵火で焼かれてからのちに改宗したとされ、もとは堂舎が立並ぶ大伽藍で七〇余坊を擁していたという(「輿地志略」など)。仁安二年(一一六七)三月一八日の年紀をもつ大塩保八幡鐘銘に「神崎西郡佐野郷善勝寺」とある。


善勝寺
ぜんしようじ

[現在地名]栗東町御園

御園みそ集落の北部山腹にあり、普門山と号する。浄土宗。もと金勝こんしよう寺を中心とした法相宗系の寺であったと考えられる。「浄土宗寺院由緒書」によれば、貞元二年(九七七)の草創で、勝光の中興と伝える。元禄五年(一六九二)の金勝中村明細帳(近江栗太郡志)に、貞享二年(一六八五)本堂再興とある。本尊の木造千手観音立像は平安時代の作で、国指定重要文化財。


善勝寺
ぜんしようじ

[現在地名]尾道市長江一丁目

千光寺せんこうじ山東麓にあり、潮音山と号し、高野山真言宗。本尊聖観音。もと臨済宗で補陀落山善性寺といい、東福寺末であった。天正年中(一五七三―九二)には千光寺山城(大宝山城)城主杉原元恒の菩提所とされ、杉原氏墓という五輪塔が背後の山腹にある。その後無住になり、慶長年中(一五九六―一六一五)に性意が中興して真言宗に改宗、寺号・山号を改めた。本尊は俗に「はぎの観音」とよばれる坐像で、「宝冠の弥陀」とも「弥勒菩薩」ともいう。


善勝寺
ぜんしようじ

[現在地名]米沢市大町三丁目

児玉山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、親鸞の弟子源海が師命を受け嘉禄二年(一二二六)奥羽に来て教化した。同年長井氏の帰依を得て米沢城内に一寺を建立。五〇石の寺領を受け善勝寺と号したという。長井氏滅亡により当寺も衰退したと伝えるが、慶長九年(一六〇四)一三世善海のとき、上杉氏の帰依を得て城内から東寺ひがしてら町に移し再建された(旧米沢市史)


善勝寺
ぜんしようじ

[現在地名]下関市大字神田

神田かんだの北部、員光かずみつ川の右岸にある。浄土真宗本願寺派。稲積山と号し、本尊は阿弥陀如来。

寺伝によれば、大内家家臣津原主計正善勝を開基とする。応仁の乱で嫡子善次が討死し厭世の念深く、本願寺蓮如に帰依、法名道西を賜り帰国して草庵を建立したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の善勝寺の言及

【四条家】より

…隆謌は明治維新後も新政府の軍事を担当し,陸軍草創期の重臣として活躍し,その功もあって1884年華族令の制定に当たって伯爵を授けられたが,91年に侯爵を授けられている。 四条家は地名に由来することから,ほかにも四条を家の号としたものも少なくないが,当四条家は,洛東白河の善勝寺を同族祭祀の寺とし,代々族人をもってその長者となし,同族的結合の紐帯とした。なお同族は,始祖隆季の弟権中納言実教に始まる山科家をはじめ,西大路・鷲尾・油小路・櫛笥・八条等の諸家がある。…

※「善勝寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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