妹尾郷・妹尾庄
せのおごう・せのおのしよう
笹ヶ瀬川右岸の妹尾を遺称地とし、一帯に推定される。同川河口一帯に大福・古・興除の各新田が開発される以前は海に面していた。平家に仕えた妹尾氏の名字の地。「平家物語」巻八に「兼康が知行仕候し備中の妹尾は、馬の草飼よい所で候」とあり、同書長門本巻四には鬼界島へ流罪となった藤原成経は「瀬尾の湊ゆくいといふ所」より出帆したという。元暦二年(一一八五)四月二九日、源頼朝は妹尾郷を平家没官領として崇徳院法華堂に寄進(吾妻鏡)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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