姉小路家綱(読み)あねがこうじ いえつな

世界大百科事典(旧版)内の姉小路家綱の言及

【姉小路氏】より

…飛驒国司家。世にいう三国司の一つ。藤原師尹の子済時が姉小路氏を称し,その裔が,鎌倉後期に飛驒に所職を有していたらしいが,家綱のとき,建武年中(1334‐38)に南朝のいう御料の一国である飛驒の国司に任ぜられたといい,南朝方として活躍し,1378年(天授4∥永和4)従三位参議に叙任された。家綱のあとの師言は,後亀山法皇還御の翌1417年(応永24),従三位参議に叙任され,ついで持言,勝言と継いだ。応仁・文明前後,勝言は吉城郡小島郷神通川以西の地頭職を有して小島城に拠り,之綱は小島向(小鷹利)を,昌家は古河郷を領し,小島,小鷹利,古河の3家が並立し互いに抗争した。…

※「姉小路家綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む