元中(読み)ゲンチュウ

デジタル大辞泉 「元中」の意味・読み・例文・類語

げんちゅう【元中】

南北朝時代南朝後亀山天皇の時の年号。1384年4月28日~1392年閏10月5日。

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精選版 日本国語大辞典 「元中」の意味・読み・例文・類語

げんちゅう【元中】

南北朝時代、後亀山天皇の代の南朝年号。弘和四年(一三八四)四月二八日、甲子革令説に基づいて改元将軍足利義満の時代、元中九年(一三九二)閏一〇月南北両朝合体が成立。翌年正月より北朝年号明徳を用いた。

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日本の元号がわかる事典 「元中」の解説

げんちゅう【元中】

日本の元号(年号)。室町時代(南北朝時代)の1384年から1392年まで、後亀山(ごかめやま)天皇の代の南朝が使用した元号。前元号は弘和(こうわ)。南朝最後の元号。1384年(弘和4)4月28日改元。1384年は甲子(かっし)の年にあたり、甲子は徳を備えた人に天命が下される革令(かくれい)の年で変乱が多いとされることから、先例にならい、甲子革令を防ぐ目的で改元が行われた。後亀山天皇の即位にともなう代始改元ともされる。元中年間の北朝の天皇は後小松(ごこまつ)天皇。北朝が使用した元号は、至徳(しとく)(1384~1387年)、嘉慶(かきょう)(1387~1389年)、康応(こうおう)(1389~1390年)、明徳(めいとく)(1390~1394年)。室町幕府の将軍は足利義満(よしみつ)(3代)。「元中」の元号は、1392年(元中9)の南北朝合一によって廃され、北朝の元号の「明徳」が使用されることになった。

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