姶良西俣(読み)あいらにしまた

日本歴史地名大系 「姶良西俣」の解説

姶良西俣
あいらにしまた

鹿屋市の南東部、大姶良おおあいら川流域を占める。中世姶良庄の西部にあたり、近世西俣村を遺称地とし、みなみ村の村域も含んだと考えられる。史料には単に西俣とみえるほか、西俣村・西俣庄ともみえる。大隅国建久図田帳に島津庄寄郡の一つとして姶良西俣がみえ、二四町六段二丈とある。建治二年(一二七六)八月日の石築地役配符写(調所氏家譜)でも同反別で二丈四尺六寸四分の石築地役が割当てられている。元徳三年(一三三一)六月日の建部清武申状案(禰寝文書)曾小河そおがわ(現国分市)弁済使職をめぐる相論にかかわるもので、同職に関する文書を西俣村弁済使伴左衛門尉兼置(法名定蓮)が細山田右衛門入道道念に売ったとみえる。建武二年(一三三五)一〇月七日の太政官符(島津家文書)では、西俣村などが中宮職領となり、島津貞久が預所職に補任されている。翌三年二月九日、下野六郎資久に姶良西俣地頭代官職が勲功の賞として宛行われた(「島津貞久下文案」樺山文書)。樺山氏には永享八年(一四三六)に同地頭代官職が安堵されている(同年八月三日「島津忠国書下」同文書)。観応元年(一三五〇)六月二四日の上書のある島津庄大隅方寄郡田数注文(旧記雑録)に島津貞久の当知行分の一つとして西俣村がみえ、翌二年八月一五日には足利尊氏が西俣村などを勲功の賞として貞久に宛行っている(「足利尊氏下文」島津家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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