日本歴史地名大系 「姶良庄」の解説
姶良庄
あいらのしよう
現吾平町域一帯にあったとみられる大隅正八幡宮(現鹿児島神宮)領の庄園。大隅国建久図田帳に姶良庄五〇余丁とみえ、正宮大般若庄内沙汰、元吉門高信宗清所知と記される。開発の時期等は不明だが、庄鎮守と考えられる正若宮八幡宮(現八幡神社)が長久四年(一〇四三)創建とされることから、平安時代中期とも推測される。「管窺愚考」所収の得丸氏古系図には、万寿年間(一〇二四―二八)開発された島津庄の開発領主平季基の弟良宗が当庄の開発領主としてみえる。良宗の子良高が
鎌倉時代後期から南北朝期にかけて隣接する
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報