日本歴史地名大系 「子浦川」の解説 子浦川しおがわ 石川県:羽咋郡志雄町子浦川宝達(ほうだつ)山東山腹の樽見(たるみ)滝(現押水町)を水源として北流、所司原(しよしはら)で北西に向きを変え、散田(さんでん)で左岸に原御前(はらごぜん)を水源とする新宮(しんぐう)川、右岸に臼(うす)ヶ峰を水源とする向瀬(むこせ)川が合流、邑知(おうち)沖積平地を北流して羽咋市で長者(ちようじや)川・羽咋川と合流し日本海に注ぐ。流路延長約二〇キロ。中・下流域に七世紀前後の横穴群がある。文明八年(一四七六)正月一一日の桜井基宗譲状(気多大宮司家文書)に「志雄河」とあり、基宗が桜井宗基に譲渡した吉野屋(よしのや)にある畠地の南限がこの川であった。子浦宿内の内浦街道に架かる子浦川橋は宝暦期(一七五一―六四)の架橋で(子浦区有文書)、「能登名跡志」に「子浦川、往来に長十七間の橋あり(略)此所より氷見へ越ゆるを巡見上使道と云て往還也」と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by