デジタル大辞泉
「孝安天皇」の意味・読み・例文・類語
こうあん‐てんのう〔カウアンテンワウ〕【孝安天皇】
記紀で、第6代の天皇。孝昭天皇の第2皇子。名は日本足彦国押人。
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こうあん‐てんのうカウアンテンワウ【孝安天皇】
- 第六代天皇。孝昭天皇の第二皇子。名は日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)。
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孝安天皇
こうあんてんのう
皇室系譜に第6代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)。孝昭(こうしょう)天皇の第2子で、母は世襲足媛(よそたらしひめ)。孝安元年に即位、同2年に都を室(むろ)(奈良県御所(ごせ)市室)の秋津嶋宮(あきづしまのみや)に遷(うつ)し、同26年に姪(めい)の押媛(おしひめ)を皇后とし、同102年に没して玉手丘上陵(たまてのおかのかみのみさざき)に葬られたという。『古事記』は、母を余曽多本比売命(よそたほひめのみこと)、皇后を忍鹿比売命(おしかひめのみこと)とし、123歳で没したと伝える。
[星野良作]
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孝安天皇 こうあんてんのう
記・紀系譜による第6代天皇。
父は孝昭天皇。母は世襲足媛(よそたらしひめ)。伝説上の人物ともいわれる。「日本書紀」によると,都は室(むろ)の秋津島(あきつしまの)宮。孝安天皇102年1月9日死去。123歳(「古事記」)。墓所は玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)(奈良県御所市)。別名は日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)。
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孝安天皇
『古事記』『日本書紀』に第6代と伝えられる天皇。『日本書紀』によれば,孝昭天皇と尾張連の遠祖・瀛津世襲の妹の世襲足媛との間に第2子として生まれた。日本足彦国押人天皇という。孝昭天皇を掖上博多山上陵(御所市)に葬り,室(御所市)に秋津島宮を営んだ。兄の天足彦国押人命は和珥臣らの始祖となったと伝えられる。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
孝安天皇
こうあんてんのう
第6代に数えられる天皇。名はヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト。孝昭天皇の第2皇子,母は皇后ヨソタラシヒメノミコト。大和室秋津島宮に都し,オシヒメノミコトを立てて皇后とした。陵墓は奈良県御所市玉手字宮山の玉手丘上陵。
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