孝昭天皇(読み)コウショウテンノウ

デジタル大辞泉 「孝昭天皇」の意味・読み・例文・類語

こうしょう‐てんのう〔カウセウテンワウ〕【孝昭天皇】

記紀で、第5代の天皇懿徳いとく天皇皇子。名は観松彦香殖稲みまつひこかえしね。都を大和の葛城郡掖上わきのかみに移し、池心宮いけこころのみやと称した。

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精選版 日本国語大辞典 「孝昭天皇」の意味・読み・例文・類語

こうしょう‐てんのうカウセウテンワウ【孝昭天皇】

  1. 第五代天皇。懿徳(いとく)天皇の第一皇子で、名は観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしねのみこと)。「日本書紀」によれば、都を大和国掖上(わきのかみ)の池心宮(いけごころのみや)に営み、在位八三年一一三歳で没したという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「孝昭天皇」の意味・わかりやすい解説

孝昭天皇
こうしょうてんのう

皇室系譜に第5代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしねのみこと)。懿徳(いとく)天皇の皇子で、母は天豊津媛命(あまとよつひめのみこと)。孝昭元年に即位して都を掖上(わきのかみ)(奈良県御所(ごせ)市北東部)の池心宮(いけごころのみや)に遷(うつ)し、同29年に世襲足媛(よそたらしひめ)を皇后とし、同83年に没して掖上博多山上陵(わきのかみはかたのやまのかみのみさざき)に葬られたという。『古事記』は、母を賦登麻和訶比売命(ふとまわかひめのみこと)、皇后を余曽多本(よそたほ)比売命とし、93歳で没したと伝える。

[星野良作]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「孝昭天皇」の解説

孝昭天皇 こうしょうてんのう

記・紀系譜による第5代天皇。
父は懿徳(いとく)天皇。母は天豊津媛命(あまとよつひめのみこと)。伝説上の人物ともいわれる。「日本書紀」によると,都は掖上(わきのかみ)の池心(いけごころの)宮。孝昭天皇83年8月5日死去。93歳(「古事記」)。墓所は掖上博多山上陵(はかたのやまのえのみささぎ)(奈良県御所市)。別名は観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしねのすめらみこと)。

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朝日日本歴史人物事典 「孝昭天皇」の解説

孝昭天皇

『古事記』『日本書紀』に第5代と伝えられる天皇。『日本書紀』によれば,懿徳天皇と,天皇の兄,息石耳命の娘天豊津媛命との間に生まれた。観松彦香殖稲天皇という。懿徳天皇を畝傍山南繊沙谿上陵(橿原市)に葬り,掖上(御所市)に池心宮を営んだ。長子天足彦国押人命は和珥臣らの始祖と伝えられる。

(大平聡)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「孝昭天皇」の意味・わかりやすい解説

孝昭天皇
こうしょうてんのう

第5代に数えられる天皇。名はミマツヒコカエシネノミコト。懿徳 (いとく) 天皇の第1皇子。母は皇后アマトヨツヒメノミコト。大和掖上池心宮 (わきのかみのいけごころのみや) に都した。ヨソタラシヒメノミコトを立てて皇后とした。陵墓は奈良県御所市大字三室字博多山の掖上博多山上陵。

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