朝日日本歴史人物事典 「孝蔵主」の解説
孝蔵主
生年:生年不詳
安土桃山時代,豊臣秀吉の正室北政所(高台院)の側近。蒲生貞秀の家臣川副勝重の娘。秀吉や北政所の奏者として諸大名との取次に当たり,大坂城内で権勢を持った。天正18(1590)年の小田原攻めに際して,伊達政宗に書状を送り,上様(秀吉)は政宗に別心はないと信じておられるので,ご恩を忘れては罰が当たりますぞとたしなめている。文禄4(1595)年,北政所の使者となって豊臣秀次を説得し,秀吉に引き合わせ,高野山への追放の命に従わせた。慶長3(1598)年,秀吉亡き後は北政所と共に大坂城を出て京に住み,大坂の陣の前に駿府に移った。その後,江戸城大奥の取り締まりのため徳川秀忠に招かれてもいる。墓所は東京谷中の南泉寺。<参考文献>桑田忠親『桃山時代の女性』
(西村圭子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報