奥女中
おくじょちゅう
江戸時代に将軍家や大名・旗本など諸家の奥向きに仕えた女中をいう。御殿女中ともいう。将軍家の大奥には、将軍付の女中と御台所(みだいどころ)付の女中の2系統があり、またその役職に応じて御目見(おめみえ)以上と御目見以下の身分に区別された。御目見以上の役職には上﨟(じょうろう)(公家(くげ)の出身が多い)、御年寄、中年寄、御客会釈(あしらい)、中﨟、御坊主、御小姓(おこしょう)、御錠口(おじょうぐち)、表使、御次、御右筆(おゆうひつ)、御切手書、呉服之間(ごふくのま)があり、御目見以下の役職には御三之間、御広座敷、御火之番、御使番、御仲居、御末、御犬子供(おいぬこども)などがあった。大奥女中は公家や旗本の女のうちから召し出されたが、町人の女でも旗本を仮親とし出仕することがあった。奉公の際は、奥向きのことはいっさい他言しないなどの誓紙を差し出した。その身は一生奉公をたてまえとしたが、下級の女中は願い出ると暇が出された。側妾などの上級の女中の縁者で幕府要職に取り立てられた者も多く、また奥向きの勢力が表向きの政治に影響を及ぼすこともあった。大名の諸家でも、ほぼこれに準じたものであろう。
[北原章男]
『進士慶幹編『江戸時代武士の生活』増補版(1969・雄山閣出版)』
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奥女中
おくじょちゅう
御殿女中ともいい,幕府の大奥や大名の奥向きに勤務していた女中。江戸城中における奥女中は,年齢的な制限はなかったが,上臈は御台所の側近で京都の公家出身の娘が多く,御年寄以下は旗本の娘から選ばれ,一生奉公を原則とした。女中の身分制はきびしく,御目見 (おめみえ) 以上,以下に分れており,御目見以上のものには上臈年寄,御年寄などがいて大奥を支配した。
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おく‐じょちゅう ‥ヂョチュウ【奥女中】
〘名〙 大奥または諸大名など貴人の奥向きに仕える女性。
奥上臈(おくじょうろう)。
※歌舞伎・お染久松色読販(1813)
序幕「男欲しさの奥女中、身がよふな達者作りは誘わいで、ひげいすな今の調市
(でっち)」
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奥女中【おくじょちゅう】
江戸時代,将軍家・諸大名家ほか身分ある武家の奥向(当主の妻子の居所,原則として当主以外の男性は立入禁止)に仕えた女中。御殿女中ともいう。→大奥
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おくじょちゅう【奥女中】
江戸時代に武家の奥向に仕えた女性の総称。江戸時代には将軍家,大名,旗本など,身分ある武士の邸宅では“表”と“奥”の区別が厳重にたてられ,当主以外の男子は奥には入れなかったから,御広敷とよばれる奥向管理事務の男子役人以外は,奥向の諸事はすべて女性で弁じた。その武家奥向に仕える女中が奥女中である。有力大名の奥向は幕府大奥の制度に似たところも多かったが,多数の小大名では奥向の規模・組織もさまざまで,奥女中もそれぞれ独自の風俗習慣をもったという。
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おく‐じょちゅう〔‐ヂヨチユウ〕【奥女中】
江戸時代、将軍家や大名家の奥向きに仕えた女性。御殿女中。
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