日本歴史地名大系 「宇久町」の解説 宇久町うくまち 長崎県:北松浦郡宇久町面積:二六・三八平方キロ五島列島の北、平戸島の西に位置する宇久島を町域とする。南に小値賀(おぢか)町域にあたる小値賀島・野崎(のざき)島などがある。宇久島の南西に寺(てら)島(面積一・四二平方キロ)、南東に前子(まえご)島、北東に古志岐(こしき)島などがあるが、常住島は寺島のみとなっている。宇久島はなかほどに城(しろ)ヶ岳(二五八・六メートル)があり、西に菜盛(さいもり)岳(一六八メートル)がある。宇久島には長崎鼻(ながさきばな)草原・長野原(ながのはら)草原・平古原(ひらこばる)草原・火焚崎(ひたきざき)草原・野方(のがた)草原があり、美しい自然の芝が密生して、牛が放牧されている。小河川が多く、灌漑用溜池として山本(やまもと)池・平(たいら)池・平古池・堀(ほり)ノ水(みず)溜池・赤田(あかた)池・木場(こば)池・太田江(おおだえ)池などが造成された。海岸部では北部の牧(まき)崎、東部の長崎鼻、南部の萱場(かいば)崎、北西部の三浦(みうら)・乙女(おとめ)の鼻、西部の厄神(やくがみ)鼻・火焚崎・五島崎などにより大小の入江が形成され、また断崖の景観がみられる。九州商船などにより上五島や佐世保市、野母商船により福岡県博多、福江(ふくえ)などと結ばれ、島内では県道の宇久島循環線が巡っている。古代には松浦(まつら)郡に属し、「和名抄」に記される松浦郡値賀(ちか)郷のうちであったと考えられる。また遣唐使船の停泊地であった。平安末期から鎌倉期にかけては宇野(うの)御厨のうちで松浦氏一族の勢力が及んだとみられるが、のち五島を勢力下に置く宇久氏はその始祖とされる家盛(平忠盛)が文治三年(一一八七)に土着したと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by