日本歴史地名大系 「宇佐山城跡」の解説 宇佐山城跡うさやまじようあと 滋賀県:大津市中部地域錦織村宇佐山城跡[現在地名]大津市錦織町湖南を一望する比叡山地の一部に属する宇佐山(三三四・八メートル)の山頂に築かれた城郭。志賀(しが)城(「当代記」など)、志賀要害(元亀二年正月二〇日「山崎吉家書状」歴代古案)ともいう。「多聞院日記」永禄一三年(一五七〇)三月二〇日条に「今度今道北、ワラ坂南、此二道ヲトメテ、信長ノ内森ノ山左衛門城用害、此フモトニ新路ヲコシラヘ是ヘ上下ヲトヲス」とあり、織田信長の家臣森可成(森三左衛門)による城の構築が、滋賀郡から京都に至る二つの幹線道路である今道(いまみち)越と逢坂(おうさか)越(ワラ坂)を閉鎖して、実施されていたことがわかる。「新路」とは、今道越の滋賀郡側からの登り口の付替工事と思われ、信長が滋賀郡から京都に至る道を「新路」一本に絞り、宇佐山城をその押えとしたのであろう。なお「信長公記」には、信長が可成を「志賀城宇佐山拵」に入れたのは元亀元年(一五七〇)五月と記され、この頃に城が完成したのかもしれない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by