宇佐山城(読み)うさやまじょう

日本の城がわかる事典 「宇佐山城」の解説

うさやまじょう【宇佐山城】

滋賀県大津市にあった山城(やまじろ)。琵琶湖南部沿岸の宇佐山(標高336m)に築かれた城である。1570年(元亀1)に、織田信長越前の朝倉氏に対抗するため、家臣の森可成(もりよしなり)に命じて築かせた最前線の城である。信長が近江国で初めて石垣による築城を行った城として、歴史的に貴重なものになっている。城の完成後、可成は城主として入城したが、同年9月、織田軍の主力が摂津国の野田城・福島城の戦いに投入されている隙をついて、朝倉・浅井連合軍の大軍が坂本口に攻め寄せ、築城間もない宇佐山城も戦乱に巻き込まれた。可成は寡兵を率いて城から打って出て、坂本で戦死している。朝倉・浅井連合軍はその後、宇佐山城に攻め寄せたが、森可成の家老の各務元正らが頑強に抵抗し、信長が大津から坂本に兵を進めたため城攻めを断念。元正らは城を守り抜いた。その後、明智光秀が入城したが、光秀は翌1571年、坂本城(大津市)を築いて居城を移した。現在、城跡には曲輪(くるわ)、暗渠、石垣、石段、櫓(やぐら)台などの跡が残っている。本丸跡には現在NHKと民間放送のアンテナ施設が建っている。この放送施設の建設に伴い、1968年(昭和43)と1971年の2回にわたって発掘調査が行われ、本丸跡から瓦が出土している。京阪電気鉄道石山坂本線近江神宮前駅から徒歩約30分。◇志賀城ともよばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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