宇和庄(読み)うわのしよう

日本歴史地名大系 「宇和庄」の解説

宇和庄
うわのしよう

鎌倉期から室町期にかけて伊予国西南部、おおむね現在の東宇和郡・宇和島市・北宇和郡域に設定された皇室領および西園寺家領荘園。成立については、天平勝宝元年(七四九)五月に外大初位下から外従五位下に昇叙された宇和郡の豪族凡直鎌足の荘田説、藤原純友の私営田説、純友討伐に功のあった橘遠保の子孫による権門への寄進説など諸説があるが、定説はない。

荘名の初見は、寛喜三年(一二三一)の将軍家政所下文案(小鹿島文書)で、

<資料は省略されています>

とある。正安四年(一三〇二)八月の室町院領目録(八代恒治氏所蔵文書)には「一、後高倉院法華堂領」として「美濃国鵜沼庄四条前宰相 同国正近山四条前中納言 伊与国宇和庄西園寺」とあり、鎌倉末期に後堀河院の皇女室町院暉子を本家、公家衆の西園寺氏を領家とする荘園となっている。もとは後高倉院法華堂領であったので、皇室領荘園としての成立は後高倉院(高倉天皇の皇子守貞親王)の死去した貞応二年(一二二三)五月一四日以前にさかのぼりうる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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