宇多の松原
うだのまつばら
紀貫之が、国司の任を終えての帰京の途次を記した「土佐日記」承平五年(九三五)一月九日条に、「かくて、宇多のまつばらをゆきすぐ、そのまつのかずいくそばく、いくちとせへたりとしらず」とある。この「宇多のまつばら」をどこに比定するか従来種々論議がある。
「土佐物語」所々一見の事条に「赤岡の松原を見渡して(中略)彼土佐日記のうだの松原を行すぐ」とあり、また「土佐日記地理弁」は兎田村(現野市町)の名に注目し、もと「うだ」と読んで広く赤岡・須留田(現赤岡町)・岸本・王子など一帯を称したもので、松原はこの地域の浜辺であろうとしている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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