日本歴史地名大系 「宇多津村」の解説
宇多津村
うたづむら
現宇多津町のほぼ全域を占め、中世瀬戸内屈指の湊宇多津を有し、湊町、商業の町また門前町として発展。寛永国絵図に宇多津とみえ、高八三四石余。寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳では高八七四石余。延享二年(一七四五)天野吉太夫により二八町余の新田が開拓された(宇多津町誌)。天保九年(一八三八)の御巡見一件(十河文書)によれば高一千三二二石余、うち田方六八八石余・畑方六三四石余、反別一四六町四反余、家数八六六・人数三千五八四(うち一千八〇七人は本百姓、一千六九三人は負商人・諸職人・医師・猟師・水主など)、寺院一〇・神社一一、商船一五・漁船九、塩釜六、塩浜六町一反余、出来塩五千四六〇俵、馬二三・牛六五。用水は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報