宇賀庄(読み)うかのしよう

日本歴史地名大系 「宇賀庄」の解説

宇賀庄
うかのしよう

伯太はくた川右岸(東岸)の現宇賀荘うかしよう町一帯に所在した摂関家領庄園。文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳の第一六番に「宇賀庄内九十丁因幡左衛門大夫」「同庄内九十丁同人」「同庄内六十六丁四反小同人」とみえる。嘉元三年(一三〇五)四月頃とされる摂渡庄目録(九条家文書)には、法成ほうじよう(現京都市上京区)領の一つとして「宇賀庄 田百八十町 年貢米六十石 莚二百枚」と記されている。法成寺は寛仁四年(一〇二〇)藤原道長によって建立された寺院であるが、宇賀庄は一二世紀中頃に藤原摂関家領庄園として成立した後、改めて法成寺に寄進されたものであろう。文永八年の結番帳にみえる地頭因幡左衛門大夫は東国の御家人長井氏で、おそらく新補地頭であろう。

元亨二年(一三二三)庄内に建立された雲樹うんじゆ寺は「牧左衛門入道善興」の創建といわれ(島根県史)、得宗御内人のなかに牧氏がいることからすると、鎌倉時代末期の宇賀庄は得宗領であって、牧氏はその地頭代として宇賀庄支配にあたっていたと推測される。しかし鎌倉幕府の崩壊に伴って地頭職は没収され、建武二年(一三三五)三月一八日に後醍醐天皇から鰐淵がくえん寺の南方根本薬師堂に寄進された(「後醍醐天皇綸旨」鰐淵寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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