守谷城跡(読み)もりやじようあと

日本歴史地名大系 「守谷城跡」の解説

守谷城跡
もりやじようあと

[現在地名]守谷町守谷 城内

島状台地の平台ひらのだい山に所在。相馬城とも称する。台地周辺は低地で、四隅は嶮崖数丈に及ぶ。本丸部分は空堀によって二つに分けられ、南北五町・東西三町。その東に小郭三、四が連なる。

当城は平将門の本拠地、あるいは相馬御厨の下司で鎌倉幕府御家人相馬氏の居城ともいわれるが根拠はない。「多賀谷旧記」によれば天正一七年(一五八九)に下妻城主多賀谷氏が筒戸つつど(現筑波郡谷和原村)城主相馬小三郎胤親を攻め、「胤親ノ兄守谷城主相馬小次郎」が筒戸城に援軍を出している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android