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安井算哲(読み)ヤスイサンテツ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安井算哲」の解説

安井算哲(1) やすい-さんてつ

1590-1652 江戸時代前期の囲碁棋士。
天正(てんしょう)18年生まれ。安井家初世。初世本因坊算砂の門にはいり,11歳のときから駿府(すんぷ)で徳川家康につかえ,のち中村道碩(どうせき)(初世井上因碩)らと御城碁をつとめた。準名人(8段)。子の2世算哲は,のちの初代幕府天文方の渋川春海(はるみ)。慶安5年1月9日死去。63歳。河内(かわち)(大阪府)出身幼名六蔵,次吉。

安井算哲(2) やすい-さんてつ

渋川春海(しぶかわ-はるみ)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「安井算哲」の意味・わかりやすい解説

安井算哲 (やすいさんてつ)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の安井算哲の言及

【渋川春海】より

…字は順正(のぶまさ),諱(いみな)は都翁(つつち),号を新盧といい,春海の名は《伊勢物語》の〈雁鳴きて菊の花さく秋はあれど春の海べにすみよしの浜〉からつけたという。将軍家碁所4家の一つ安井家の子として生まれ,わずか14歳で父の後を継ぎ安井算哲と称して碁所に勤めた。暦学を松田順承,岡野井玄貞に,和漢の書を山崎闇斎に学んでその秀才ぶりをうたわれたことは,囲碁の素養とともに幕閣の有力者である会津の保科正之や水戸光圀らの知遇を得る助けとなり,のちの改暦の成功を招いた。…

【本因坊】より

…碁風は策に富み,豪放絢爛(けんらん)たるものがあった。安井家は,算砂の弟子安井算哲(1589‐1652)に発した。2世算知(1617‐1703)は,名人碁所に就任したが,以後安井家からは名人を出していない。…

※「安井算哲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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