日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケープ植民地」の意味・わかりやすい解説
ケープ植民地
けーぷしょくみんち
Cape Colony
1910年の南アフリカ連邦(現南アフリカ共和国)結成以前の南アフリカにおけるイギリス植民地。イギリスはオランダ東インド会社領のケープを第一次(1795)、第二次(1806)の二度の占領の結果、1814年正式にイギリス植民地とした。イギリスは総督を派遣し、その下で行政・立法審議会を置いて統治したため、35年イギリス支配を嫌うブーア人(オランダ系移民)のグレート・トレック(内陸大移動)を引き起こした。入植者が増えるにつれてカフィール戦争など東部・北部フロンティア(国境)の拡大が行われた。しかし自由貿易主義を堅持する当時のイギリス本国政府は植民地の拡大を望まず、植民地経済は喜望峰回りの船の寄港地としての意義のほか羊毛の輸出によっていた。67年内陸のオレンジ自由国のグリクァランド・ウェストでダイヤモンド富鉱が発見されるとただちにこれを併合(1871)、またトランスバールの金鉱の発見後、第二次ブーア戦争(1899~1902)を起こし、イギリスの勝利後の1910年南アフリカ連邦を結成し、ケープ植民地はその一州に組み込まれた。
[林 晃史]