日本歴史地名大系 「安井門跡跡」の解説
安井門跡跡
やすいもんぜきあと
〔開創〕
正治二年(一二〇〇)殷富門院(後白河天皇皇女亮子)御願により仁和寺境内に建立された御堂(安井御所、安井法華堂とも)。同年一〇月一七日後白河上皇・宣陽門院らも臨席して落慶供養が行われた(「百錬抄」「猪熊関白記」など)。翌建仁元年(一二〇一)一二月一八日には後鳥羽天皇の東宮(のちの順徳天皇)が行啓し、殷富門院の猶子となる儀式をあげている(百錬抄)。その後殷富門院は養子としていた道尊(以仁王の子、東寺長者)にこの御堂を譲与した(仁和寺記録)。宮僧正道尊(安井門跡開基)に付与されたことから安井門跡、院号を蓮花光院と称し(安井門跡代々次第)、仁和寺の院家の一つであった。建保四年(一二一六)四月二日、殷富門院は安井法華堂に葬られている(仁和寺日次記)。「仁和寺諸院家記」では道尊のあとの院主を道円(土御門天皇皇子)・道融・練融・道性・性融・寛尊・益守・寛尊・尊守・寛法と列記。文永一〇年(一二七三)彗星出現の際に道融(西園寺公経息)が行った修法の賞として阿闍梨三口が寄せられている(「東寺長者補任」続々群書類従)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報