(母利美和)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
第109代に数えられる天皇。在位1629-43年。名は興子(おきこ)。後水尾天皇の第2皇女,母は皇后和子(徳川秀忠の女東福門院),幼称を女一宮という。1629年(寛永6)10月内親王宣下,ついで11月父天皇の譲りをうけて践祚した。この譲位は,紫衣(しえ)事件などに見られるような幕府の干渉に反発してにわかに強行されたもので,ときに皇位を継ぐべき皇子は早世し,嫡出の第1皇女である天皇がしばらく皇位を継承することとなったのである。女帝は,実に奈良時代の称徳天皇以来のことであった。在位15年で,皇弟の後光明天皇に譲位。なお追号は元明,元正2天皇の諡号(しごう)の下の1字を採って併せたもので,ともに女帝であることにちなむ。
執筆者:武部 敏夫
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皇室系譜に109代とされる女帝(在位1629~43)。名を興子といい、後水尾(ごみずのお)天皇の第二皇女として生まれる。母は徳川秀忠(ひでただ)の娘東福門院和子(かずこ)。1629年(寛永6)、紫衣(しえ)事件に代表されるような多年にわたる幕府の干渉や圧迫に抗議して、病身を理由に後水尾天皇が突然譲位した。皇子が早世のため、わずか7歳で践祚(せんそ)、翌30年9月12日に即位した。幼少でもあり政務の実権は父の上皇にあったが、900年ぶりの女帝が再現された。在位14年ののち弟の後光明(ごこうみょう)天皇に譲位した。御陵は京都市東山区今熊野泉山町月輪(つきのわ)陵。
[佐々悦久]
1623.11.19~96.11.10
在位1629.11.8~43.10.3
後水尾(ごみずのお)天皇の第2皇女。名は興子(おきこ)。母は徳川秀忠の女東福門院和子。幼称女一宮。1629年(寛永6)10月内親王宣下。11月後水尾天皇のにわかの譲位により践祚。奈良時代の称徳天皇以来の女帝である。当時の後水尾天皇に皇子がいなかったためであるが,円滑を欠いていた朝幕関係の所産ともいえる。院政がしかれ,在位中の政務は父上皇が行った。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…これらの天皇の出現は,天皇家の内部事情や藤原氏あるいは僧道鏡の政治的野心によると考えられる。9世紀以後はながく女帝の即位はなかったが,江戸時代に明正天皇(在位1629‐43),後桜町天皇(在位1762‐70)の2人の女帝が現れた。明正は父の後水尾天皇が突然退位したため,後桜町は兄の桃園天皇が急逝したためである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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