朝日日本歴史人物事典 「殷富門院」の解説
殷富門院
生年:久安3(1147)
平安後期から鎌倉初期の女院。後白河天皇の第1皇女。亮子内親王。母は藤原季成の娘成子(高倉三位局)。以仁王,守覚法親王,式子内親王らの同母の兄弟。保元1(1156)年に内親王となり,3年まで伊勢斎宮を勤め,寿永1(1182)年に安徳天皇の准母として皇后となった。文治3(1187)年6月に院号宣下,殷富門院と称した。後白河法皇没後の建久3(1192)年11月,仁和寺法金剛院で出家する。弟の仁和寺御室守覚法親王が万事を取り計らい,以仁王の息子で女院の猶子となっていた仁和寺僧道尊が剃り手を勤めた。後白河法皇から金剛勝院や押小路殿を伝領したが,出家後は仁和寺東南の安井殿に住み,正治2(1200)年10月御堂を建てて盛大に供養を営み,蓮華光院と号した。この供養導師も守覚法親王が勤めた。御堂は道尊に譲られて安井門跡(蓮華光院)の祖となる。女院には猶子が多く,道尊の他に九条兼実の息子で仁和寺僧となった良恵,後鳥羽院の第2皇子の長仁親王(のちの仁和寺御室道助入道親王)と,東宮守成親王(順徳天皇)をも猶子とした。鎌倉初期の女院の御所は,女房たちと殿上人が集う華やかな文芸の場でもあった。
(土谷恵)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報