殷富門院(読み)いんぷもんいん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「殷富門院」の意味・わかりやすい解説

殷富門院
いんぷもんいん
(1147―1216)

平安後期の伊勢斎宮(いせさいくう)。後白河(ごしらかわ)天皇の皇女亮子内親王。1156年(保元1)4月19日、内親王宣下(せんげ)、即日伊勢斎宮となる。80年(治承4)5月には以仁(もちひと)王の邸にいたという。82年(寿永1)安徳(あんとく)天皇の准母となり、皇后尊称される。87年(文治3)皇后宮職をとどめられ院号宣下。92年(建久3)春、後白河法皇より金剛勝院(こんごうしょういん)と押小路殿(おしこうじどの)を伝領したが11月9日出家。のちに1200年(正治2)御願寺として蓮華光院を建立した。建保(けんぽう)4年4月2日死去。

[佐藤和彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「殷富門院」の意味・わかりやすい解説

殷富門院
いんぷもんいん

[生]久安3(1147).京都
[没]建保4(1216).4.2. 京都
白河天皇の皇女,亮子内親王。母は藤原成子。保元1 (1156) 年内親王,伊勢斎宮となり,同3年斎宮を退下。安徳天皇後鳥羽天皇の准母として皇后と尊称。文治3 (87) 年院号宣下。建久3 (92) 年落飾,法名真如観。京都蓮華光院法華堂に葬る。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「殷富門院」の解説

殷富門院 いんぷもんいん

1147-1216 平安後期-鎌倉時代,後白河天皇の第1皇女。
久安3年生まれ。母は藤原成子(せいし)。久寿3年(1156)内親王,さらに伊勢斎宮(いせさいぐう)となる。寿永元年安徳天皇の准母(じゅんぼ)として皇后とよばれる。のち後鳥羽天皇の准母。文治3年院号をゆるされ,建久3年出家した。建保(けんぽ)4年4月2日死去。70歳。名は亮子。法名は真如観。

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