安倍喜平(読み)アベ キヘイ

20世紀日本人名事典 「安倍喜平」の解説

安倍 喜平
アベ キヘイ

江戸時代末期・明治期の教育家,実業家



生年
天保12年7月(1841年)

没年
大正4(1915)年2月10日

出生地
淡路国三原郡湊村(兵庫県)

旧姓(旧名)
浜西

経歴
淡路湊村の浜西家に生まれ、治郎作に養われて安倍氏を嗣いだ。幼名を岸之助、瑞穂と称し、別に禾葉と号した。幼くして和漢学を林滄浪・中田南洋・松野真維に、算数福田理軒に、皇学大国隆正に学ぶ。慶応2年(1866年)郷里・淡路で家塾・積小軒を開き、大正3年まで青年子弟の訓育に当たる。この間、明治維新後の10年には「淡路新聞」を創刊、これは後日の東京報知新聞生誕の遠因を成す。また洲本港と洲本川の改修、大阪航路の開発、紡績会社の創設、教育の刷新などに尽力、生涯を通じて人材育成、思想善導、文化開発、交通通信の改善、殖産興業助長など、大いに社会に貢献した。一方、太陽時計台、伸縮儀(測量機)、積小儀(歩数自計器)など多くの発明品と、「国語学目標」「祝詞考」「淡路古今紀聞」など多数の著書を残した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安倍喜平」の解説

安倍喜平 あべ-きへい

1841-1915 幕末-明治時代の教育者,実業家。
天保(てんぽう)12年7月生まれ。国学を松野真維(まつな),大国隆正に,算数を福田理軒にまなぶ。慶応2年郷里淡路(あわじ)(兵庫県)で家塾をひらき,維新後は明治10年に「淡路新聞」を創刊,また大阪航路の開発などにつくした。大正4年2月10日死去。75歳。本姓は浜西。号は瑞穂,禾葉。著作に「国語学目標」「祝詞考」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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