安居城跡(読み)あごじようあと

日本歴史地名大系 「安居城跡」の解説

安居城跡
あごじようあと

[現在地名]福井市金屋町 大幸寺

金屋かなや東部の山麓にあり、俗に御殿地ごてんちとよぶ。南北朝時代、北朝方の足羽七城の一で(越前国城蹟考)斯波高経の臣細川出羽守の拠城。「太平記」巻二〇(黒丸城初度軍事付足羽度々軍事)に、延元三年(一三三八)五月二日、新田義貞が五千余騎の兵を差向けた五ヵ所のうちに当城の名があげられている。

朝倉氏時代には、その一族孫三郎景健が修築して居城した。景健は元亀元年(一五七〇)朝倉方大将として浅井軍とともに京都へ兵を進めている。天正元年(一五七三)朝倉氏滅亡後は織田信長に下り、本領を安堵されて姓を安居と改めたが、翌年蜂起した一向一揆に降伏し、翌三年再度越前に入国した信長に滅ぼされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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